
不登校は、逃げなのでしょうか?
我が家には、小2と小4の不登校児童がいます。
彼らが「学校に行きたくない」と言ったとき、
「不登校は甘えなのでは?」
「イジメが原因ならまだわかるけど、それ以外の理由で学校に行かない子供は、ただ苦しいことから逃げているだけでは?」
といった、世論とぶつかりました。
実際。
私が「息子の意思を尊重します。彼が望まない限り学校に来ません」といったら、
小学校の校長先生は、「彼は虐められているわけではないし、発達障害などでもありません。学校に来れるのでは?」と言われました。
遠まわしに、「甘えだよ」と言われたわけですね。
祖父母からは、「それは逃げじゃないのか?学校で我慢を学ばないと・・・」と言われました。
学校に行かない子供たちは我慢が足りないだけだ。
それが世間一般の考え方だと思います。
しかし、本当にそうなのでしょうか?
不登校の子供を持って、いろいろと考えるところがあったので、私なりの見解を書いていきます。
結論からいうと、『不登校は逃げじゃない。人間としてごく当たり前の行動であり、実はすべての人間が学校に行かない方がいいんじゃないのか?』と思っています。
はぁ?と思われるかもしれませんが、ぜひ最後までおつきあいいただけると幸いです^^
不登校は逃げなのか?学校に行かない子供たちを見て感じたことを書こう
「学校に行かない」と言う子供たちは、甘えているのでしょうか?
それについて議論するためには、【そもそも学校とは何なのか?】を知らなければいけません。
学校は、なんのために通い、どんな人を育てることを目的としているのでしょうか?
そもそも学校って?なんのために行くのか?
学校とは何なのでしょうか?
義務教育が生まれた背景には、【国が成長するための人員確保という目的】があります。
読み書き・計算などを教え、すべての人間がある一定の基準の教養を身に着けることで、経済的な成長を促そうとしたわけですね。
しかし、単なる教養を身に着けるだけなのであれば、学校に行かなくてもいいと思いませんか?
家で学んだっていいわけだし、本を読んで覚えたりすることもできる。
不登校でもいいじゃないですか(笑)
なのに、なぜ「学校に行かなけばならない」という雰囲気になっているのか?
ここには、『学校で社会性を学ぶ』ことが大事だと思われている節があります。
では、学校で学べる社会性って何なのでしょうか?
ある本の中で、元教員による明確な答えがあったので、抜粋します↓
もともと学校の先生だった方で、「学校における社会性の定義」を伺ったところ、
その方は「自分の意思とは関係なく、やりなさいと言われたらやるし、やめなさいと言われたらやめる。イエスマンになれるかどうか」と答えてくださいました。
『不登校になって伸びた7つの能力』より引用
学校で身につく社会性とは、『イエスマン』だそうです。
自分の意思とは関係なく、ただ言われたことをやれるかどうか?
「そんなことはやりたくないです!」「無理です!」とは言わずに、他人の言うことを反発なく聞ける人間を作ることが、学校のひとつの意味でもあるってことですね。
ちなみに。
うちの子供は「やりたくないことはやりたくない」という理由で不登校になったのですが、そのときに校長先生は、「そうはいっても学校で我慢を学ばないと」と言ってました。
なので、うちの子供が通っていた小学校の先生的にも、学校は「自分の意思とは関係なく、決められたことをやる我慢」を学ぶ場なようです。
世間一般でも、「学校もロクに通えなかったやつに、社会人が務まるはずがない!」という意見もあるかと思います。
時間通りに学校にきて、別に受けたくもない授業を1日5時間~8時間もおとなしく座って聞いて、
先生に言われたとおりに黒板に書かれたことをノートにとり、テストのために勉強をする。。。
そこに子供の「やりたい!やりたくない!」の意思はなく、ただやらされる。
先生に言われたことは絶対順守。
クラスではなるべく問題を起こさないように、友達や先生の顔色をうかがいながら、なじめるように気を使い続ける。
そういう生活をして、社会性・・・すなわち、『イエスマン』が完成していくわけですね。
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さて、ここで質問なのですが。
『イエスマン』になるって、みんな望んでますか?
『イエスマン』になったら、立派な大人になれるのでしょうか?
学校で身につく社会性は、本当に必要なのでしょうか?
学校で身につく社会性って本当に必要?現代の大人の悩みは『自分を生きれない』じゃないの?
こんな記事を書いている私ですが、フツーに小・中・高と出ています。
不登校になったこともありませんし、親や先生の言うことはよく聞いてきました。
どちらかというと、いつも褒められる優等生でしたよ(笑)
地元で有名な学校に進学もして、一部上場企業にも就職して、将来を期待されていましたよ。
だけどね・・・
私、【空っぽ】なんです。
いつも親や周りの大人の顔色をうかがって自分の進路を決めてきたから、やりたいことがわからない。
就職だって、自分のやりたいことがわからないから、どこでもいいとテキトーに面接受けた。
そしたら、全然自分に合わない仕事で。
周りに迷惑ばかりかけて、会社のお荷物になった。
けれども、自分のやりたいことも得意なこともわからない。
何もできない。何にもない。
結婚して子供産んで、そこから「私の人生、ずっとこのままは嫌だな」と思って、自己啓発の本読んだり、ビジネス塾とか入ったけど。
それでも、自分が本当は何をやりたいのかわからなくて、途方にくれました。。。
今、私みたいな【空っぽの大人】が増えていると思います。
書店でも、「好きなことで生きる!」「自分らしく生きる!」といったテーマの本が多いですよね。
自分がどうしたいのかわからなくて、占いやスピリチュアルを頼る人もいるでしょう。
私も、自分らしく生きたくて、もう人の顔色うかがって自分を押し殺すのは嫌で。
いろんなセミナーとかに行ったけど、私のように悩んでいる人って大勢いるの。
「自分がわからない」
これは本当に苦痛。
悩むまではいかなくても、「自分らしく生きてないな」とか「自分らしくって何なんだろう?」って思う人は多いと思います。
「本当に今の生き方がしたかったんだろうか?」と、ぽっかり穴が開いた状態でいるとか。
で!
ここで学校の話につながってくると思うんですが、この悩みって、学校生活で身に付いた『イエスマン』が関係してると思うんですよ。
小さいころから、嫌なことでも我慢してやってきた。
親や先生の顔色を窺っていきてきた。
クラスで浮かないように、“フツー”に見えるように、みんなに合わせて生きてきた。
そーゆーことを学校で訓練されてきたからこそ、大人になっていざ「自由にしていいよ」と言われても、どうしたらいいのかわからない。
ずっと小さいときは、「好き・嫌い」がはっきりわかっていたはずなのに、我慢しすぎてしまって、何が嫌なのかわからない。
嫌でもやらなきゃいけない!
みんなが「いいね!」と言ったものは、自分もとりあえず「いいね!」っていっておかなきゃ!
こんな『イエスマン』が身についてしまっているから、「自分らしく」なんて見つかりようがないんですよね。
私自身の経験と、私と同じく悩める人たちを見てきて、本当にそう思います。
今の大人たちは、学校や家庭で身に付いた『イエスマン』のせいで、自由に生きられなくなってるんです。
他人にどう思われるか?ばかりを気にしてしまうクセがついてるから、人生の主導権が他人にあって。
でも、自分らしく生きたくて。
人生の主導権を自分に戻すために、悩んで、苦しんでるんだと、私は思います。
不登校は子供なりの防衛反応だと思う
不登校になる子供たちは、理由はそれぞれだけれども、『このまま学校に行き続けたら、私が私でなくなる』というのを感じ取っているのではないかと思います。
うちの子供たちで言えば・・・
小2の次男は、「やりたくないことはやりたくない」という気持ちがありました。
小4の長男は、「テストとか体育とか、できた・できないの評価をされたくない」という気持ちがありました。
それぞれ理由は違いますが、根っこの部分を見ると、【自分が殺されていく環境に違和感を感じた】のではないかと思います。
精神科医の渡辺位(わたなべ たかし)さんは、著書の中でこう言っています。
その子供がその子供としての主体的な生き方としての表現が不登校ってことであってもよい。
子育てとは、“学校の子”育て、とは違う。
その子の主体性育て、個性育て、だと思うんです。
“子育て”とは、“個育て”でもある。
そういう意味で、不登校といわれる状態は子供の“生き方”なんだから、みんな画一的に登校していることがよいことではない。
むしろ、主体性なしに登校することによって、子供は本当の自分、自分が自分であることから離れて自分離れを起こしてしまう危険がある。
学校離れである不登校は、自分を失うという自分離れへの回避行動だ、その子供なりに生きようとしてるんだ、と考えなくてはいけない。
『子どもはなぜ学校に行くのか』より引用
「学校に行きたくない」は、甘えでも、逃げでもない。
ただ、自分を殺されることに危機感を感じて、「ここにいたらヤバい!」と身を守っているだけ。
人間としてごく当たり前のことだし、むしろ「みんなが通ってるから・・・」と違和感をそのままにして自分を失くしてしまうよりも、よっぽど賢明ではないか?
と、私は思います。
なので!
私の結論としては、『不登校は逃げでも甘えでもない。人間としてごく当たり目の行動だ』です。
不登校は逃げではない。自分を失くさないための防衛行動なだけ
うちの子供たちが不登校になって、もうすぐ半年が経ちます。
子供は最初、「学校に行かないのは悪い事なんじゃないのか?」とビクビクしていましたが、学校が行かないことがフツーになった今では、毎日イキイキと自分の好きなことをやっています。
もう、やりたくないことはやらなくていい!
好きなことをやっていい!
そんな環境になったことで、少しずつ、自分を取り戻しています。
おもしろいことに、学校に行かなくなってからのほうが、自分の将来をよく考えるようです(笑)
小2の次男は、レーサーになる夢ができて、体力づくりをしたり、youtubeでレーサースクールの学費を稼ごうと動画を作っています。
小4の長男は、絵本作家になる!とコンテストに応募したり、「漢字が読めないとヤバいかも」と、ときどき漢字の練習をしたりしています。
まぁ、二人の夢はコロコロ変わるかもしれないし、将来はどうなるか?はわからないけどww
なによりも、「自分の意思で人生を歩みだした」ことが親として嬉しいし、応援していきたいと思っています♪
私自身、「小さいときから自分で自分の人生を作れたならどんなによかっただろう」と、子供たちがうらやましく思ったりもしますが、
子供の不登校をきっかけに、「私も自分らしく生きていいんだよ」と許可が出せるようになり、好きなこと・やりたいことに素直に手を伸ばせるようになりました。
今このブログを書いていることも、やりたいことの一つですね。
「学校に行かない=人生オワタ」と思っている人があまりにも多いので、『不登校ライフを悩まず楽しく過ごしてほしい!』という願いがあったりします。
不登校の体験談もリアルにつづっていますので(笑)、もしよかったら、他の記事も読んでみてください。
子供の「学校に行きたくない」は、甘えでも逃げでもありません。
世論や周りの評価に負けず、お子さんが“本当の意味で幸せ”になれるような道を模索していただければと思います^^