10.不登校を認めない祖父母と衝突!「親がそんなことでどうするんだ」

 

小学校とはよい関係が築けるようになったわけですが、まだ大きな問題が残っていました。

じいじ・ばあばです。

夫の親はほっといてくれるのでよかったのですが、私の両親は口をはさむタイプでした。

これがなかなか手ごわかったです。

 

こちらからは連絡を取らないようにしていたものの、実家としては「孫が不登校」という事実に気が気でないようでした。

「娘夫婦がそんな対応なら、私たちがなんとかするしかない!」と使命に燃えていたのでしょう。

父から、「話がある」と電話があり、日曜に会うことになりました。

お昼どきだったこともあり、近くのファミレスでご飯を食べながら話を聞くことになりました。

もちろん、父の話は不登校についてでした。

 

「本当にそれでいいと思ってるのか?

私は学校に行かなくてはならないと思うぞ。

甘やかしすぎだ!我慢は人生において必要だぞ!」

 

“一般論”を説かれました。

夫に対しても、

 

「どう思ってるんだ?あっ?

一家の主が、そんな甘いことを言っていていいのか?」

 

と、高圧的な態度。

 

「もうお前たちに子供を任せておけない!こっちで育てる!」

 

とまで。。。

私は、昔から父の高圧的な態度が怖くて、心臓がバクバクしたけれど、「しっかりしなくちゃ!」と思い、こう答えました。

 

「お父さん。

あなたが孫のことを想ってくれていることはわかってる。

『我慢は大事』と思ってるってことは、お父さん自身がたくさん我慢をして、今の地位を築いたんだと思う。

だけどね、私たちもお父さんたちと同じように、『子供にとって何ができるのか?どの道が正解なのか?』を悩んで、この道を選んだの。

子供なんてどうにでもなれ!と思っているわけでもないし、お父さんたちには理解できない道かもしれない。

だけど、『子供に幸せになってほしい』という根っこの気持ちは同じなんだよ。

あなたたちとは違う道を選んだけれども、それだけは信じて、見守っていてほしい。。。」

 

そして、私がサドベリースクールを知るために読んだ本を渡して、「よかったら読んでほしい」と伝えました。

頭の固い父なので、読むことはないとわかっていましたが、私の言葉が伝わらない以上、本に任せることにしたんです。

父は、「全然理解できない・・・」とさっさとお会計をして帰っていきました。

 

父が帰ったあと、夫と、

「やっぱり無理だったね。こんな話を毎回するのは、私たちも子供たちも負担だし、じいじ・ばあばとは縁を切ったほうがいいのかな・・・」

と話しました。

 

私たちが常識から外れているのは十分理解していたし、両親が強く反発することは想定内だったけれども、

精神的にしんどいものがありました。

 

・・・がっ!

2週間後に急展開を迎えます。

 

土曜日の朝、父から電話があり、「これから行く。」とのこと。

私は前回の話のこともあり、とても気が重かったです。

夫は、「俺は用事があることにしておいて!」と言い、逃げました(笑)

 

しかし蓋をあけてみれば、「少し早いけど、孫にクリスマスプレゼントを買ってあげたい」とのこと。

しかも、この前とは態度が変わっていて、「不登校でもいい。元気で生きていてくれればいい」と言い出しました。

そして、「前回は言い過ぎた」と、生まれてはじめて父親から謝罪されてビックリしました。

彼の中で、何が起きたのかはわかりませんでした。

けれど、父なりに不登校について考えてくれたのでしょう。

 

正月にあったときには、「この本、よかったよ」と言って、父は『明るい不登校』という本を勧めてくれました。

父が、少しでも理解しようとしてくれたのが有難かったです。

母は、「父に従う」という感じで、不登校について何かいってくることはありませんでした。

「見守る」ことを選択してくれたことに、感謝でした。

 

こうして我が家の子供たちは、小学校・実家の両親ともに、公認の不登校になったのでした。。。

 

(つづく)

 

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11.子供4人が不登校になって思うこと。世間体はどーでもよかった

 

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