フリーランスのお坊さん!?脱・お寺した異色の住職【三浦錬浄さん】

お坊さんってどんな人がなるのでしょうか?

私の勝手なイメージですが、「お寺に生まれた人」がなるものだと思っていました。

しかし、そんなこともないようです。

今回、お話を聞かせてくれたのは三浦錬浄さん。

宮城県にある浄温結社の住職です。

私が彼を知ったのはnoteの投稿だったのですが、

「もともとお寺の生まれではない」ですし、

「自分でお寺を新しく作っちゃった」人でして、私はとても驚きました。

なぜ彼は一般家庭で育ったのにお坊さんの道に入ったのでしょうか?

●どうしてこのご時世に自分で新しくお寺を立ち上げた(サラリーマンでいうところの脱サラ)をしたのでしょうか?

そこには、現代のお寺をとりまく問題と、錬浄さんのただならぬ信念がありました。

「歴史あるお寺(すでに檀家がいて食うに困らない)のお坊さん」という安定職を抜けて、フリーへ。

異色のお坊さんが誕生した理由とは・・・?

お話を聞いてみました^^

フリーランスのお坊さん!?三浦錬浄さんにインタビューしました

ネコじゃらしネコじゃらし

錬浄さん、よろしくお願いします!

なぜ、お坊さんに?一般家庭育ちなのに仏の道に進んだ理由とは

ネコじゃらしネコじゃらし

錬浄さんは、「もともとお寺の生まれではない」ということですが、なぜお坊さんになろうと思ったんですか?

私の勝手なイメージですが、普通に生活してたら仏の道に興味を持つことがないような気がして・・・

三浦錬浄三浦錬浄

お坊さんを目指したのは・・・

「仙人になりたかったから」でした(笑)

錬浄さんが育たった環境は、ごく一般のサラリーマン家庭。

しかし、離婚とはいかないけれども、父母の仲が悪かったそうです。

とくに父親は、「俺の言うことを聞け!」タイプ。

小さいときは父親の言うことを黙って聞いていたものの、年頃になってくると理不尽さに反抗をしたそうです。

しかし、わかってもらえない。分かり合えない。

錬浄さんは「どうしたら分かり合えるのだろうか?」とずっと悩んできたんだとか。。。

心理学者になりたい!と思っていた時期もあったそうです。

一方母親は、家庭内のうまく行かない状況をなんとかしようと、神社や仏閣にお祓いにいったりしていたそう。

子供だった錬浄さんは、そういうところについていくこともありました。

また、学校のいじめ問題に胸を痛めることもありました。

いじめも家庭の問題も、「人付き合いの中」から出てくること。

なので、錬浄少年はこう思ったそうです↓

三浦錬浄三浦錬浄

人付き合いってめんどくせーなっ!!!

・・・(笑)

人付き合いがめんどくさいから、山奥深くで世間と関係なく生きる、仙人になりたかったそうです。

「人と関わらないなら、こんなにラクなことはないだろう・・・」

そんな気持ちだったんだとか。

学校は友達がいるけれども、居心地が悪い。

家に帰ってきても、雰囲気が悪くて居場所がない。

お母さんが神社をお参りするとき。錬浄さん自身も、拝みやさんやお坊さんに、「どうすればいいか?」を相談するようになっていったそうです。

 

転機は、中学・高校時代。

日蓮宗のお寺とご縁がつながり、夏休みなどの休暇中に、毎朝お寺にお参りに行くようになったそうです。

自宅からお寺まで、自転車で片道40分かかる道のりでしたが、

錬浄少年は、普通に過ごすよりもそっちの方が楽しいと感じていました。

ネコじゃらしネコじゃらし

中学・高校の男の子が、遊びよりも修行を優先するって、相当な意思が必要だと思います。

「修行の方が楽しかった」と言ってましたが、どういうところが楽しいと感じたんですか?

三浦錬浄三浦錬浄

自分の限界を知ったというか。

人付き合いめんどくさいな、とか。

「人間として生まれてきたのに、人間として生きてないよな」

ってことを学んだんですよね。

人のことを大事にしてないじゃないですか。関わってないから。

本当に人とと関わりたいんだったら、友達と遊びに行くことだけじゃなくて、イジメられてる人をみて「やめろよ!」って言ってあげればいいですよね。

だけどそれをしないで、遠巻きでみながら「自分は関わりたくない。でもなんとかしたいな」っていう気持ちもある中で、どうしたらいいかな?ってずっと考えていて・・・

 

信仰という形に出会って。

「自分が変わったら。弱い自分を変えることができたら。もっと皆さんのためになれるんじゃないかな?」

と思ったんですよ。

だから、中学・高校時代にお寺に通ったのは、「弱い自分を変えたいな!」と思ったのがありますね。

三浦錬浄三浦錬浄

自転車をこいでお寺に向かうとき、満たされない気持ちがずっとあったんですよね。

だけど、あそこにいったら救われる、癒されるっていう感覚がずっとあったので。

楽しさっていうのは、普段聞けないお話を聞けたりしたことですね。

お客さんが来たりたいときに、お茶を出したり手伝いをしてたんですが、そういうときに悩みやいろんなことを知れたんですよね。

すごく勉強になったので、よかったなぁ~と思ってます。

そんな思いで、中学・高校とお寺通いをしていた錬浄少年。

お坊さんを目指すキッカケとなったのは・・・

三浦錬浄三浦錬浄

仏(お釈迦)さまという存在がいて、その方が残してくださった教えが、

いろんな宗派にわかれているわけなのですが。

そこで日蓮宗の教えと出会って。

日蓮宗は「妙法蓮華経(みょうほうれんげきょう)」って教えなんですけど。

その中に、「なぜ人間は生まれてくるのか?」って書いてあったんですよ。

で、その教えに触れる中で、お釈迦さまってすごいな!ってことがわかったんですよ。

お釈迦さまの教えって、キリスト教の教えとは違って。

キリスト教って、キリストが唯一無二の存在であり、神様ってことですけど、

お釈迦様は、「あなたも私の教えに沿って修行することによって、あなたもお釈迦さまのように悟りが開けますよ」って言ってくださってるんですよ。

っていうことは、努力次第ですよね。

「自分もお釈迦さまのようになりたいな!」と思って。

別に、お釈迦さまのように偉くなりたいなってことはないんですけど、

お釈迦さまも出家の動機があって、

「この世は悩みや苦しみに満ち溢れている。人間は味わう。どうすればそういう苦しみから逃れられるんだろう?」

ってことで、出家をしたんですよ。

なので、「自分もお釈迦様の教えを実践していったら、よりよく生きていけるのかな?」って思いました。

で、

自分がよりよく生きられるようになったら、周りの自分を支えてくれている人たち、悩んだり苦しんでる人たちのお役に立てるかなぁ~と思ったんですよね。

それを、漠然とは思ってたっていうところがあって。

三浦錬浄三浦錬浄

高校3年生のとき進路について相談したときのことです。

「仙人になりたい」という思いをお寺の住職さんに伝えたところ、

 

「仏さまの教えをみなさんに伝えていくのがお坊さんの役目なんだよ。
 自分だけ悟ったつもりになって、山の奥で一人で過ごしてても、何の意味もないよ」

 

って言われたんですよ。

その後、錬浄少年はお坊さんの大学へ進学。

大学3年生(二十歳)のときに出家し、ご縁のあった仙台の寺院の坊さんとなりました。

めでたくお坊さんに!しかし・・・お坊さん界の闇を見てしまう

ネコじゃらしネコじゃらし

じゃあ今は、仙台のお寺にずっといるんですか?

三浦錬浄三浦錬浄

まず、師匠のお寺に6年くらいいたんですけど。

師匠が亡くなってしまって。

そこでは人手もなかったので休みもなくて、給料も安くて・・・みたいな。

そういうブラック企業みたいだったんで(笑)

ネコじゃらしネコじゃらし

お坊さんの世界もそんな感じなんですね(笑)

三浦錬浄三浦錬浄

怒られるかもしれないけど(汗)

そういうところだったので、やりたいこと(修行)があっても、なかなか時間がとれなかったんです。

休みがないので。

三浦錬浄三浦錬浄

私も、お寺の修行ということに関して、しっかり厳しく子供のころからそういうものを経験しているわけではないので。

今の住職って、お寺に生まれた息子さんがほとんどなんですけど、その人たちが自宅がお寺で厳しい修行をしてきたか?っていうと、そんなことはないですからね。

お寺は世襲で、2世3世があとをついでます。

そういった2世3世さんは、お寺を立ち上げた当初の苦労とかは経験してないですよね。

檀家さん、信者さんを見つけるのは、「いかにお坊さんが真剣になって生きていかなければいけないか?」っていうことになるので。

あとを継ぐ人は、もう初めから檀家さんがいて。

こう言ったらなんですけど、固定客がいるわけですよ。

ネコじゃらしネコじゃらし

ああ~!たしかに。

しかも、家系的にお寺が決まってたら離れていかない客なので、ありがたいですよね。

三浦錬浄三浦錬浄

言葉は悪いけど、「お墓が人質」になってるわけですよ(笑)

これは私の言葉ではなくて、そういう言葉が出てるんですよ。批判的な言葉でね。

で。

2代目3代目っていうのは、もうはじめから檀家さんがついてるわけだから、感謝する気持ちがないっていうか。

わかっているようで、わかってないわけですよ。

ネコじゃらしネコじゃらし

わかりようがないかもしれないですね・・・

三浦錬浄三浦錬浄

そうすると、「やってもらって当たり前」っていう気持ちがお坊さんの中にでてくるわけですよ。

私もそうですけどね。

お坊さんって言ったときに、「なんだかありがたい!」っていう気持ちになるでしょ?

ネコじゃらしネコじゃらし

なります!

「お経読んでもらってありがたや~」っていう気持ちになりますね。

三浦錬浄三浦錬浄

でも、今の世の中で、「お経あげてもらってありがたいな」ってなるのは、みなさん証拠というか、結果を求めるじゃないですか。

たとえばお葬式で、大切な人が亡くなったとして。

「ここの檀家になってるから」ってことで、お経をあげてもらったときに、

そのお坊さんのお経のあげ方が、あまりにもいい加減だったりとか。

短かったりとか。長いからいいってもんでもないんですけどね。

時間に遅れてきたりとか、お酒飲んできて酔っ払いながらお経を上げたりとか・・・

ネコじゃらしネコじゃらし

え~!?そういうのがあるんですか!?

三浦錬浄三浦錬浄

そういうのがあるみたいなんですよ。

お坊さんといえでも、そういういい加減な人たちにお経をあげてもらって、

葬式を出したときに、喜ぶかどうか?っていうことなんですよね。

ネコじゃらしネコじゃらし

さすがに・・・

酔っぱらったお坊さんはイヤですね。。。

三浦錬浄三浦錬浄

信頼関係じゃないですか。そこって。

だから、お坊さんって結局、長い間そこの土地にあって、歴史があって。

2代目3代目ってなったときに。

1代目の人たちは、周りの檀家さんに対して感謝の気持ちを持ってお寺を維持してきてきたから、周りの人たちも信頼してくれていたけれども、

2代目3代目は、もう初めから檀家さん(お客さん)があるところからスタートするから。

ちょっと言ったら、「お坊さんのいうことだから」ってお金とか必要なものを出してくれるっていうのもある。

そこを勘違いしてしまう人(お坊さん)もいるんですよね。

お坊さんと言うと、こんなイメージがありました↓

  • 厳しい修行を乗り換えてきた人
  • それも私利私欲ではなく、「みんなのために自分を律しているすごい人たち」

そんな風に思っていましたが、必ずしもそうとは限らないようです^^;

たしかに、「お坊さん」というだけで、徳が高く、エライ人のような気がしていました。。。

三浦錬浄三浦錬浄

「お坊さん」ってだけで、敬ってしまったり、信用したりするのは、色眼鏡で見てるからだと思うんですよね。

でも、今の世の中、そんなインチキが許されるわけがないじゃないですか。

お仕事なわけですから。

ネコじゃらしネコじゃらし

そうですね。

もし、酔っぱらって仕事に来たら、即クビですね(笑)

遅れてきたら、「お前何様だ!」ってなりますね~

三浦錬浄三浦錬浄

そうですよね。

でも、それをお坊さんは許されちゃうんですよ(汗)

全てのお坊さんなわけじゃないし、真面目に真剣にやってる方もいるんですけど、そういういい加減な人もいるんですよ。

だけど、今まで自分が作ってきた信頼関係じゃないにも関わらず、「自分はそこに生まれた」というだけで、

「みなさんの信頼を勝ち得ている」と思って、いい加減なことをやっていれば、もちろん人は離れていきますよね。

自分が作ったものを壊してしまうのであれば自業自得で済むんですが、よく考えると、お寺の歴史を壊すことになるし、

辿っていくと、お釈迦様への信頼もなくしてしまうことになってしまいますよね。

ネコじゃらしネコじゃらし

あ~、たしかに!

不手際なことがあったり、失礼なことをされたりしたら、

「もうお坊さんの話なんか聞くか!」ってなるかもしれないです。

そのお坊さん本人じゃなくて、「あのお寺の人間の話は聞かない!」ってなるかもしれないし、

もっと大きなくくりで、「●●宗派のやつの話は聞かない!」ってなるかもしれない。

三浦錬浄三浦錬浄

一般企業で言ったら、そういうことはザラで当たり前のことですけどね。。。

ネコじゃらしネコじゃらし

ツイッターされると思います(笑)

三浦錬浄三浦錬浄

炎上しますよ(笑)

だけど、お坊さんってぼんやりとぬるま湯に浸かってるから、「このままでも行けるだろう」と思ってる方はいっぱいいらっしゃるんでね。

お坊さん、世間ズレしてますよ。

私もそうですけど。

ネコじゃらしネコじゃらし

ある意味、そういう職業な気もしますけど。

お坊さんって世間とあんまり関わりないっていうか。

三浦錬浄三浦錬浄

でも、そうしたら、さっきの仙人の話と同じことになりますよね。

(いくら悟っててもお釈迦さまの教えを伝える役目を果たさないお坊さんは)「この世にいらない」ってことじゃないですか。

ネコじゃらしネコじゃらし

・・・(笑)

私の中でのお坊さんの役割って、「お葬式のときにお経を読む人」なんですよ。

それぐらいしか思い浮かばなくて。

三浦錬浄三浦錬浄

そうでしょう。その通りだと思います。

お釈迦様は本来、「亡くなった人にお経をあげなさい」とは言ってはいないので。

生まれた以上は歳をとならきゃいけないとか、病気になんなきゃいけないかったりとか。

生まれた以上は死ななければならない。

好きな人と別れなければいけない。

嫌いな人と一緒に居続けなければならない。

自分が欲しいものが手に入れられなくて苦しむこともある。

最終的に、自分の体は自分の思いどおりにならない。

これが「四苦八苦」っていうんですよ。

で。

それって、生きてるからこそ味わうことなんですよね。

死んじゃったら、亡くなった人がなんとかしてくれるなんてことはないわけじゃないですか。

生きてるからこそ、いろんな苦しみを味わうけど、

逆に生きてるからこそ、いろんな楽しさや嬉しさも味わえるってことですから。

本来、仏教って、「生きてることを大事にしましょう」っていう意味なんですよ。

三浦錬浄三浦錬浄

だから、そうやって考えてみると私は、

「私のやったことでみなさんが喜んでくれると嬉しいな」って思うし、

「相手が嬉しいな」って思ってくれるっていうのが、

お互いの喜びになることで。

今日本の仏教って13種類あるんですけど。天台宗とか、真言宗とか。

各13種類でいろんなことを提示してくださってますけど、元をただせばお釈迦さまの教えなので。

お釈迦さまは、我々に対して何を伝えてくださっているか?っていうと、ものすごく簡単にいうと、

「お互いさまですよ」ってことなんですよ。

「あなたも大事だし、相手も大事ですよ」ってことですよね。

だから、そういうことを皆さんにお伝えしなきゃいけないっていうことですよね。

ネコじゃらしネコじゃらし

じゃあ、本質は・・・

お坊さんはお経を読むことだけがお仕事ではなくて。

生きてる人たちに「お互いさまだよ。人を大事に。自分も大事に。」っていう教えを伝えることが、

本当はやるべきことっていうことですね。

三浦錬浄三浦錬浄

そうだと自分は思ってます。

「歴史あるお寺のお坊さん」という安定職を手放して、「フリーのお坊さん」になった理由

ネコじゃらしネコじゃらし

今は、どのお寺にいるんですか?

三浦錬浄三浦錬浄

今は、自宅を改装した小さなお寺にいます。

個人事業主なので。

県内の葬儀屋さんにも営業に行きましたよ。

ネコじゃらしネコじゃらし

えっ!?

じゃあ、お坊さんとして独立したってことですか?

新しいお寺を立ち上げたっていうことですよね?

三浦錬浄三浦錬浄

はい。そういうことです。

ネコじゃらしネコじゃらし

なんで独立しようと思ったんですか?

私の中では、お坊さんってお寺にいたら安定ルートなイメージがあって。

檀家さんが勝手に葬儀の申しこみしてくれて、お経上げたらたくさんお金もらえて。

ある意味、檀家さんがいるお寺にいたら食うに困らないというか。

なのに独立。。。

しかも、先祖からの流れで葬儀をお願いするお寺って決まってるお宅が多いと思うんです。

だけど、その中で新規にお寺を作って、檀家さんを新たに作っていく・・・

そういうのは、ものすごいチャレンジな気がします。私は。

三浦錬浄三浦錬浄

でも、「お寺にいて限界を感じてた」っていうところがあったんですよ。

お釈迦さまの教えっていうのは、「生きてる人間の悩みや苦しみに対してどうしたらいいか?」っていうのを教えてくださってる内容なのに、

お寺にいると、なかなか伝える機会がない。

お寺はやっぱり歴史があって、そこにあれば皆さんの信頼とかも当然あるわけですけど。。。

「お寺にいけばお金がかかる」って皆さん思ってるわけですから、

「お坊さんに話を聞いたらいくらですよ」みたいなね。

ネコじゃらしネコじゃらし

ああ~!

「1時間お坊さんと話したら1万円ですよ」みたいなイメージです。

三浦錬浄三浦錬浄

そうそう。

そうやって、お寺に気軽に来れないイメージだから。

用事がある人しか、お寺に来ないんですよ。

で。

たまーに信仰心の厚い方が地方から来られたりね。

だけどその時には、本堂は泥棒除けとしてカギがかかっていて、お参りできないとかね。

そんなこともあったりして、「なんか感じ悪いよね」って、どんどん人がお寺から離れて行ったりね。

「今年●回忌だから法事お願いします」って方だったりとか、

あるいは「お通夜からお葬式までお願いします」って方たちとしか関わりがなくて。

それで。

お寺の中にいることによって、「用事のある人たちしか来ないな」っていうのがわかって・・・

すごく限界を感じたんですよ。

来てくださる方に対して、話好きなお坊さんがいてペラペラしゃべって、また来たいなと思ってくれてまた来てくれたらいいんだけど。

それって、お寺にいたら難しいじゃないですか。用事ある人しか来てくれないので。

「それだったらつまらないな」と思って。

最初のお寺さんから、他の所に行って。いろんなところで修行して・・・

っていうことを繰り返している中で、最終的には托鉢(たくはつ)をはじめたんですよね。

「お釈迦さまの教えを伝えることが役割なのに、お寺にいたのでは思うようにできない!」

そう感じた錬浄さんは、お寺から出て、仙台駅前で托鉢(たくはつ)をしたんだそう。

【托鉢(たくはつ)とは】
仏教僧が経文を称えながら鉢を持って人家を回り食べ物を乞うこと。乞食 (こつじき) のこと。
托鉢に捧げものをする在家者からすると、お捧物をすることにより徳を積み幸せになる。

ホテルや銀行に場所を使う許可をいただき、托鉢をしながら人との関わりを持ったということですが・・・

なんと!

その期間・・・10年!!!

托鉢を通していろんな方とご縁があり、その中で錬浄さん自身も気づきがあったそうです。

 

また、仙台駅前の托鉢だけでなく、

  • アメリカ・インド・ネパールなどの世界中の日蓮宗のお寺を訪問し、世界平和を祈る
  • 日本全国の原発(54基)を半年かけて歩いて回り、平和を祈る

ということもやっていたそうです。

 

まさに、フリーのお坊さん!!

 

その後、托鉢をするための場所を確保することが難しくなり、「拠点を構えよう!」ということで、自宅を改装。

小さなお寺(浄温結社)を作るに至ったそうです。

現在の錬浄さんの肩書は、お寺の住職。

・・・といっても、実質は個人事業主だそうで(笑)

お仕事をもらうために葬儀屋に営業をかけたり、

他のお寺に出張でお手伝いに行ったり、

地域のお盆やお彼岸のご供養に行ったりしているそうです。

錬浄さんのこれから。フリーのお坊さんになった今、やりたいこと

 

ネコじゃらしネコじゃらし

これから、どうなっていきたいとかはありますか?

どんなことをしていきたいですか?

三浦錬浄三浦錬浄

私の根本にあるのが、「お互いさま」っていう考え方なんですね。

だから、出会うべくして出会った方と入籍もしたりして。

「自分たちの幸せな姿を見ていただいて、周りの人たちも同じように幸せになってほしいな」っていうのが根底にあります。

(錬浄さんはインタビュー2週間前に入籍した新婚さんです♡)

 

自分の中での願いとしては、もっと自分に力をつけて、幸せになることはもちろん。

ドンドン幸せになっていって、周りの人たちのお役に立てるようになりたい!と思ってます。

三浦錬浄三浦錬浄

あと、もっと周りの人たちに喜んでもらえるような生き方をしたいな!っていうのが、ベースにありますね。

そのために努力をしていくつもりです。

人って、「億万長者になりたい」とか、「マンションのオーナーになりたい」とか、

いろんなことがあるのかもしれないですけど・・・

そういうことじゃなくて。

「誰かの喜びが自分の喜び」なんですよ。やっぱり。

葬儀のご依頼をいただいたとき、「嬉しい!」ってなるんですけど、

仕事がいただけて嬉しいっていうこともそうなんですけど、自分のことを信頼してくださったことが嬉しいんですね。

「嬉しいな!その期待に応えよう!」となったときに、向き合うべき亡くなった方に対しても真剣に向き合うし、

亡くなった方だけじゃなくて、見送らなければならない苦しみの中にいる人たちにも真剣に向き合うっていうことが大事なことだと思ってます。

三浦錬浄三浦錬浄

仏さまの教えを知って、自分の生き方をよりよくしていく。

自分(錬浄)という存在を知っていただくことが、そのきっかけになってもらったらいいなぁと思いますね。

まとめ!仙人になりたかった少年は、異色のフリーランス坊さんになった

感情が多感な思春期に「人付き合いがめんどくさい」と思い、仙人になることを夢見た少年。

その少年は今。。。

仙人のように「山奥でひっそり暮らして誰とも関わらない」という道とは真逆の、「人に関わりまくる」という道を選択して歩んでいます。

そして、お坊さんとしての使命を全うするために、新たに自分でお寺を立ち上げることに。。。

錬浄さんのお話を聞いていたら、「人生って本当に何が起こるかわからなくて面白いな!」と思いました♪

また、最初の「人と関わりたくない」という願いを、「人と関わりたい」に変えてしまった“お釈迦様の教え”に、非常にパワーを感じました。

 

お坊さんたちの闇にはビックリしましたけど・・・(汗)

錬浄さんのように、真剣に誇り高くお坊さんという職業をやってくれる人が増えたらいいなぁ~と思います!

少なくとも、私の大事な人がなくなったときには、錬浄さんのような心を持った方にお経を読み上げてほしいですね^^

三浦錬浄三浦錬浄

錬浄さん、ありがとうございました!