こんにちは!ネコじゃらしです。
30代で、子供は4人(10歳、8歳、6歳双子)。
平凡に暮らす主婦・・・と言いたいところですが、夫からは、「お前ホントに頭おかしいな!」と言われるほどのクレイジー女(笑)
やりたいことはやる!
間違ってると思うことは間違ってる!
という感じで、感性を大切した生き方をしています。
ただ、そうなるまでにはいろいろとあったわけで。
『誰がなんといおうとも自分を生きる!』と、クレイジーになるまでの出来事を書いていきたいと思います。
厳しい家庭で育ち、奴隷体質がしみつく
私の父は、とても厳しい人でした。
大企業づとめで、出来のよい子供が欲しかったのでしょう。
パーフェクトな子供を望んでいました。
そのため、文武両道を求められてきました。
子供でありながら、大人並みに大人しくていい子を演じなければならず、父の前で大声で笑った記憶もありません。
母は、「全てお父さんの言う通りにしなさい」が口癖でした。
私がお父さんに気に入られないと、母が父に「こんなやつは俺の子供じゃない」と文句を言われてしまうので、母を守るために私なりに頑張って生きていました。
「自分が何をしたいか?」
よりも、
「周りの大人が求めていることは何か?」
の方が、私が生きていくには必要なことでした。
そのため、自分を押し殺して、相手の求めるものを演じる癖がついていました。
両親が「積極的で明るい子」をお望みとあらば、それを演じ・・・
「どんな人でも仲良くしなさい」と言われれば、嫌なことを言われてもヘラヘラと笑い・・・
本当はやりたくないことでも、やると言ったり・・・
髪型も、部活も、進学先も、全て大人の言う通り・・・
そんな、「自分がない人生」を送って生きていました。
病気で死にかけ、自分の人生なんなんだろう?と思う
二十歳。
このとき、私は髄膜炎(ずいまくえん)という病気で死にかけました。
正確には、髄膜炎だからといって死ぬわけではありません。
医者が「ただの風邪」と言い張り続けたために、発見が遅れて死にかけました。
それまでは、原因不明の高熱。
食べ物も水も全て吐き戻す。
死んでしまった方が楽じゃないか?と思うくらいの、激しい頭の痛み。
やっと病名がわかったときには、医者から「あと2週間で死んでたところだよ」と言われました。
さいわい、障害もなく生還できたのはよかったのですが・・・
私は助かったことに絶望しかありませんでした。
なぜなら・・・
本当は死にたかったからです。
正直、「自分がない生き方」には、ほとほと疲れていました。
「もう死ぬかも」と思ったとき、私には死の恐怖なんてなくて、むしろ安心したんですよ。
それくらい、もう限界だった。
周りに合わせて自分の態度を変えて。
嫌いな人とも付き合って。
だけど、どんなに周りのために尽くしても、決して自分は大事にしてもらえなくて。
自分を押し殺して生きるのは、あまりにも辛かった。
ただただ苦行でしかなかったので、早いとこ終わってほしかったんですよね。
このときはまだ、「じゃあ、自分らしく生きようよ!」なんて思う気力すらなく、
ただ「生かされてしまった」という絶望感しかなかった。
そんな私だけれども、その後に起こる出来事で、ちょっとずつ考え方が変わっていきます。。。
起業しようとするも、空っぽな自分に気づく
結婚して、子供が次々と生まれて。。。
ついには子供が4人になったものの、夫の稼ぎは少なく・・・(汗)
将来、確実に詰むことが目に見えていたので、私は家でできる仕事をしようと、在宅ワークをしようと思いました。
起業って、いきなりぶっ飛んでるなと思われるかもしれません。
ですが、それまで子持ちでバイトをやってきたりして、
「子供が増えれば増えるほど、雇い先は少なくなり、労働条件も厳しくなる」
ってことを知っていたので、在宅勤務しかないなぁ~と思ったんですよね。
あとは、このときは夫婦仲が良くなくて、いつでも離婚できるだけの収入源を作りたいっていう本音もありました(笑)
そこで、
「主婦でも誰でも簡単に起業ができる!」
「プロが、起業のタネ探しからプロデュースまでやります!」
っていう、怪しげなビジネス塾に入りました。
代金は、なんと50万!
カードでリボ払い。
自分でも思い切ったことをしたなぁ~と今では思いますが、それくらい必死だったww
で!
さっそく、「どの仕事が自分にできるのか?」起業のタネを見つけるために、講師に言われるまま、
- どんな人生を送ってきたか?人生年表
- 自分の趣味・好きなこと
を書いてみたんですが・・・
私、それを見て呆然としました。
私の人生、空っぽだったんです。
好きなことも、やりたいこともない。
なにかに熱中したこともない。
いつも親の望むことを選んできたから、私の人生は「やらされた」ことだらけ。
私の人生、何だったんだろう・・・?
28年間生きてきたのが、無駄だったように思えました。
私には何の価値もない。
そんな気分になりました。
他の塾生たちが、「私はこれが好きなので、これをやります!」と言っているのがうらやましくて仕方がなかったです。
講師に「私は私のやりたいことがわかりません」と相談してみたら、講師は、「じゃあ、これをやったら?向いてそうだよ?」と提案をしてくれました。
しかし、私はちっともやりたくないことで。
気分がのらなかったので講師からの提案を断ったら、
「ぼくの言うことが聞けない人は周りにとって悪影響だから出ていってください」と言われ、コミュニティーを追い出されました。(返金なし!)
今思うと、なんとも酷い話ですがww
おかげで、「自分のやりたいことは他人に聞いても意味がない」という教訓を得ました。
その後。
人から文章を褒められたことから、ライターを目指すことにしました。
「ライターってかっこいいじゃん!」っていう、ミーハー気分からなんですが、文章の道は私に合っていたようで、結局は仕事になります。
まぁ、ライターの道も、やめちゃうんですけどね。
クライアントとのやりとりやら、「外注は使い捨て」的なドロドロの世界をみて、精神を壊しまして。
マイペースに自己責任で文章が書ける、ブロガーに転身してからは、成果が出るようになりました。
一時期は、夫の3倍稼いでました♪
グーグルの仕様変更にともない、収入は減り、今では月10万~20万の間だけど。
けれども、こんな風に「自分のやりたいことを真剣に考えた」ことと、成功体験のおかげで、
- 自分の向いてることをやった方が結果が出ること
- 嫌なことからは逃げてもいいこと
を学びました。
奴隷気質が徐々に抜けていったんですね。
子供が不登校に!自分を押し殺す生き方なんてしなくていいと学ぶ
起業で成果を出すことができ、経済的に余裕ができたことを喜んでいたのも束の間・・・
今度は、子供の不登校が勃発。
小2の息子が、「学校に行きたくない」と言い出しました。
理由を聞けば、「小学校の休み時間はいつも一人でさびしい」とのこと。
仲の良いお友達とクラス替えで別れてしまったこともあったし、なにより、お友達がしている遊びが自分のしたい遊びではない・・・と。
私は、「やりたくない遊びでも一緒に遊んでみたら?」と次男にアドバイスをし、次男の考え方を変えようとしました。
しかし、次男はかたくなに自分を貫きます。
やりたい遊びのときしか、友達と遊ばない。
それは、いつも周りの空気を読んで態度を変えてきた私にとっては不思議で。
だけど、尊敬に値することでもありました。
「群れずに、自分を押し通す」
8歳でこんなことができる次男は、尊い存在のように思えました。
その後、信頼できる人に相談したり、小学校とひと悶着しながらも、次男に合ったフリースクールへと通わせることになりました。
つまりは、『学校に行かない選択』をしたわけです。
みんなが当たり前と思ってる世界から飛び出すには、「周りにどう思われるんだろう?」といった葛藤や、反対意見もありました。
しかし、それらを振り切って、新しい世界に飛び込んだことで得たものは大きかったです。
「人目なんて、どーでもよかったな。他人の評価よりも、自分が幸せを感じられるか?が大事だったんだ。」
「『これが当たり前だから』と、ただ従ってるのは怖いことだ。常識が狂ってる可能性だってある。」
「自分の感じた道を行くのが、一番自分が満足できる」
ということを学びました。
「空気読めよ」って日本人はよく言うけど、空気なんて読んでたら、いつまでも幸せになれない。
他人の奴隷で一生が終わる。
こんな考えを持つようになり・・・
33歳の今。
これからでも、自分の感性を大事に、個性をバクハツさせた生き方をしようと決意しました。
このブログは、私自身の楽しさを追求した人生について書いていくつもりです。
人生論・好きなこと・興味あること・・・などなど。
そのときどきで書くことは変わるだろうけど、ハチャメチャでも面白いブログになったらいいなぁ~と思ってます。
33歳からの、「自分を生きる」の実践。
何か感じるものや、役に立つものなどあれば幸いです^^